平均年収460万円は「実感」とはほど遠い? 実は6割が平均以下の「真実」 1千万円プレーヤーは増加で広がる貧富の差(AERA DIGITAL) - Yahoo!ニュース
Yahooニュースでこんなニュースがありました。
大半の人が平均年収に届いていないそうです。半分以上の人が平均年収に届かないのは当たり前といえば当たり前なんですが、テレビの情報番組で紹介される新製品とかに飛びつく人たちはわんさかいるし、ディズニーはどんなに値上げしてもいつも混んでいるし、街で見かける人たちはみんなキラキラとした雰囲気だし、貧困なんてとても感じられません。
たぶん、みんな自分を「普通」と思って過ごしています。だから、中央値~平均値前後あたりの収入があれば自分を「普通」と思って過ごしているのでしょう。
では「普通」の収入があれば、「普通の生活」ができるのでしょうか?
なぜ「普通の家庭」がこんなに苦しいのか?
かつて「日本は一億総中流」と言われた時代がありました。
マイホームを持ち、車を2台所有し、子どもは大学まで通わせ、たまの外食や旅行もできる──そんな暮らしを“中流”と呼び、それが「当たり前」でした。
しかし、2020年代のいま、その当たり前が当たり前でなくなってきています。
とくに、**世帯年収の中央値層(約560万円前後)**の人々は、日々のやりくりに悩み、老後資金や教育費への不安を抱え、「中流とは何か?」を問い直す立場に置かれています。
「中央値」はすでに“余裕のある暮らし”を支えられない
日本の世帯年収の中央値は以下のとおりです:
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30代世帯:約510万円
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40代世帯:約560万円
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50代世帯:約580万円
一見、決して低くはない数字に見えるかもしれません。しかし、手取り(可処分所得)に直すとこのようになります:
そこから住宅ローン・車の維持費・食費・教育費などを引くと、残るのは月数万円の貯金もままならない現実です。
生活実感:「中流の顔」をした“下流予備軍”
仮に地方在住で、夫婦+中高生の子ども2人という家庭を想定しましょう。
この世帯が年収560万円で生活を組み立てると、次のようになります:
支出項目 |
月額 |
備考 |
住宅ローン |
7万円 |
地方なら戸建ても可能 |
車2台維持 |
4.5万円 |
ガソリン・保険・税金など |
食費 |
6〜7万円 |
成長期の子どもがいると増加 |
教育費 |
5〜7万円 |
公立でも塾・教材・模試で嵩む |
光熱・通信費 |
3万円 |
電気・スマホ・ネット等 |
日用品・交際費 |
2万円 |
PTA、親戚、冠婚葬祭含む |
→ 合計:約30万円〜32万円
→ 残るお金:月数万円。ほぼ貯金やレジャーに回せず。
見えない“下流化”──中流のふりをし続ける心理的コスト
それでも多くの家庭が「自分は中流」と思い続けます。なぜなら:
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自分の親世代と同じ水準の生活を再現したい
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周囲と比べて“見劣りしたくない”
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子どもに「普通の暮らし」をさせてあげたい
しかし、その“中流のふり”をする生活は、借金や老後破綻という形でツケを残します。
本当は「節約しなければ回らない」水準なのに、スマホは家族全員iPhone、塾にも行かせ、車は新車。これでは家庭が持ちません。
なぜこうなったのか?──「中流」の崩壊を招いた構造的要因
1. 実質賃金の停滞
2. 教育費・住宅費・車の「3大コスト」の肥大化
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公立でも塾必須、大学進学が“当たり前”になった
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住宅ローンの長期化、車の維持費の上昇
3. 社会保障・税金の重さ
4. 見栄と情報過多
解決策はあるのか?──中流幻想からの「自分再設計」
中流という幻想を追い続けるのではなく、**「現実の自分の暮らしに合った幸福」**を再設計する必要があります。
✔ 自分なりの“中流”の再定義
✔ 固定費の最適化
✔ 教育観の見直し
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「無理に私立」「有名大でないと」は再考を
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子どもの幸福は、教育費の額に比例しない
中流に戻る必要はない、ただ“地に足のついた幸せ”を
中流だったころの日本を懐かしむ声は根強いですが、現実はもう戻りません。
むしろ今は、幻想から自由になり、自分なりの“ちょうどいい暮らし”を見つける時代です。
「中央値で暮らす家庭」は、決して負け組ではありません。
勝ち負けでなく、“持続可能な暮らし”こそが本当の豊かさだと、私たちはそろそろ気づくべきなのかもしれません。